この日記が更新されているであろう今この瞬間、僕はオーストラリアのケアンズにいるはず。更新の予約機能て。僕が十数年前にインターネットで日記を書いていた頃にはたぶんなかった。
すごいよね、僕は明日という未来の皆様に日記を書いているわけだよ。
4/3の夕方に僕の書いている日記は4/4の夕方に皆様が読んでいる、そういうわけだ。
これは本当にすごい。
今僕は日記を書いているわけだが、今この日記を皆様が読んでいる頃の今の僕はえっと、えっとオーストラリアで優雅にディナーを楽しんでいるわけで、でも今日記を書いている僕はオーストラリアにいないわけで、えっと、あれ、僕はえっと、なんだっけ。
こんなことを書きながら、今僕は迷っている。
まだ経験していないオーストラリアでの経験を未来日記的に書き綴るべきか。
それとも淡々と今日あったありふれた日常の出来事(職場の同僚が初めて空を飛んだことや、今日は天候が崩れて空からルーズソックス女子高生が降ってきたことなど)を書き綴るべきなのか。
そんなことよりも、オーストラリアから事故等の理由で帰ってこれなくなったことを想定して先々まで日記を書いて更新の予約をすべきか。
よくよく考えるとオーストラリアってけっこう危ない。カンガルーとか普通に蹴るしね。
オーストラリアで、不慮の事故で死んじゃったとして、「なんだよ、オーストラリア行ったっきり更新なしかよ。クソが」とか思われたくない。
クソってなんだよ、不慮な事故で可哀相なはずの僕なのに。
クソだけは嫌だ。誤解のないように、先々まで更新の予約をしておかないとだ。
とりあえず1ヶ月分くらい日記を書き綴っておこう。
いや、待てよ。
1ヶ月経って突如更新が止まったらどうなるのだろうか。
「あいつ普通に更新止まったな。クソが」ってなるんでなかろうか。
許され難いことだ。
オーストラリア旅行の前日に徹夜で1ヶ月分の日記を書き上げたその努力がクソで片づけられてしまうなんて。
1ヶ月分なんて言わず、もうしばらく分日記を書いてみるのはいかがなものか。
しかし1ヶ月分でさえ一晩かかるというのに、それ以上となると困難を極める。
明日の朝には成田空港に向かわなければならない。
この際オーストラリア旅行には行かずにずっと日記ばかり書いていればいいのではないか。
待て。
そもそもオーストラリアに行かなければ、僕がお亡くなりになるリスクはないわけだから、日記なんて書かなくていいわけじゃん。
ならばオーストラリアに行ったフリをして、オーストラリアっぽい日記を書き綴ればよいのではなかろうか。
それは嘘じゃん。良くない良くない。
嘘は良くないよ。え?嘘じゃなくて演技?なるほど。演技ね。
実際は日記書いてるだけで演じてないけど?
「日記演技」という新しいジャンルの確立?それカッコいいね!
良く考えろ。
日記演技だと自分に言い聞かせながら過ごすこれからの1週間を耐えきれるのか。
お前は有休を取っているから仕事にさえ行けないのだぞ。
「オーストラリアの青空はステキ!きゃっほい!」と日記を書きながら、現実には薄暗い湿気の籠った自分の部屋でパソコンをカタカタしているんだぞ。
2日目で部屋中の紐や糸を集めながら「僕水着です!ちんちん大きすぎちゃって水着から頭のところがこんにちわだYO!」と日記を綴り、
3日目に集めた紐や糸をを紡ぎながら「コアラが笹を欲しがって止まないけど、僕が全部食べてやった。美味しかったです!」と日記を綴り、
4日目あたりで完成した頑丈な縄を首に巻きつけて「オーストラリアをたの死んでます!最高death!」と遺書を残すことになるだろう。
これでは日記演技ではなく、日記遺書だ。
新しい。新しいけど無理だ、日記演技は非常に危険だ。
えー、どうしよー。
うーん。うーん。うーん。うーん。うーん。
ぱっ。
急に目の前が明るくなるのを感じる。
アインシュタインの相対性理論の閃き、空海の明星が口の中に飛び込んできてからの悟り。
ああ、こんなんだったんだなあ。
神「オーストラリアの青空で日記更新すればいいじゃない。WiFiあるでしょ?」
僕「あああああああああああああああああああああああああ(悦)」
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